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他園に寄稿した文章より

ぎんのいずみ子ども園スペース開放デー☆ぎんが文庫☆で伝えたいこと                                                                                                          


<ぎんが文庫>とは
ぎんのいずみ子ども園では、月2回行なっている未就園児の親子クラス「いずみの小人」のほかに、「一度だけでもシュタイナー子ども園の様子を味わってみたい」「在園児の使っている保育室のおもちゃで子どもを遊ばせてみたい」と思っている親子を対象とした、スペース開放「ぎんが文庫」というオープンデーの時間を作っています。時間は午後の1時間半で、基本的には同じ日の午前にある「いずみの小人」クラスのダイジェスト版で、手づくりする小物やおもちゃも同じものです。基本のコンセプトは以下です。

●季節を感じる手仕事をする。(近所で採れる蔓でリース作り、綿の実・じゅず玉、藍や草木染め、稲わら綯い 等)
●手づくりのおもちゃの素材感を感じる。(布の種類、木の種類、質感、手触り、色合い・風合い、形状 等)
●手づくりのおやつとお茶をいただく。
●ちょっとした手遊びとお帰りのうたを歌う。

そこから見えてくるシュタイナー教育の基本的精神を感じてほしい。
ノウハウではなく、ドアを開けて入った瞬間に感じるものを大事にしてほしい。


0~7歳は感覚を育てる時期
ご存じのように、0~7歳までの第一7年期は、身体や意志を育てる時期です。そして、7歳から14歳に育てる感情の前に、そこへの橋渡しともいえる、感覚を育てる時期でもあります。

私自身の感覚(たち)が初めてシュタイナー教育に出会った時、それはある(海外の)大学でのワークショップでのことですが、細胞が蘇るかのごとき、鳥肌が立つかのごとき、感覚のざわめきがありました。水彩画の色と色、色と水が溶け合うかのような境界線のない交わり合いの妙、オイリュトミーで味わう、音、音楽、そして精神性を表わすともいえる詩の言葉の中の言霊と動きの交わり、その他にも、歌(合唱)での周りの人々との一体感と空気の宇宙的な拡がり、その他に、ガーデニングや食事にまで、そのコミュニティの意志が感じられました(この場合はその大学内の共同体としての精神性・意志)。
そして、このわが園のスペース開放<ぎんが文庫>は、ほんの触りしかお伝えすることができないのですが、園やそこにいつもいる者の中にすでに培われた文化が育っていれば、その真髄は、欲して訪れる人には何かしら伝わるものだと思うのです。

さて、勉強期間も含めるともう20年近くになる私のシュタイナー修行。その中からどういう文化が私の内面と、ぎんのいずみ子ども園に育ってきたかは客観的にはわかりません。ただ、昨年の3月11日の大震災のあと、私の中ではっきりしたことがあります。毎日、朝のお祈りで歌う ♪ 光につかえて 私は守ります 聖なる大地の 歴史と未来を ♪ という歌がありますが、この<歴史と未来>を守るというのは本当に私たち日本の大人に課された死ぬまでの命題ではないかと、つとに感じております。

そしてますます、「自分のやってきたこと、やっていこうとしていることは姿勢としては間違っていない」という思いを強くしています。「今、この時にシュタイナーの真髄を伝えないでいつ伝えるの?」「今、本気で生きること、未来を作ることに取り組まないでいつ取り組むの?」と改めて自分の意志を確認する次第です。


シュタイナー幼児教育の三種の神器
シュタイナーの幼児教育をしていく上で、私の思う三種の神器というのがあらゆる側面で出てきます。まず、<手仕事・うた・おはなし>があげられます。私が、お母さんたちに繰り返し話しているのは、「無人島に流されても生きていける子どもに育てましょう」ということです。これもよく話すことですが、以前シュタイナー幼児教育協会のワークショップで、「無人島でシュタイナー幼稚園を創めるとしたら、何が必要か」という問いで、最初色々出た、ピンクのカーテンやライヤーやシュトックマーのクレヨンや、オイリュトミーが消えて、一番最後に残ったのは、<うたとおはなし>でした。

現代社会は、あまりにも不必要な物質に覆われて、人間が本当に生きていくのに必要なものが見えにくくなっています。一度ゼロに戻ってから考え直してみると、実際に必要なものはとてもシンプルで、数も数本の指で足りるくらいでいいのです。(私は2年前、お遍路のようにイギリスを1ヶ月貧乏旅行しましたが、その時、小さいキャリングバッグひとつで何も不自由はしませんでした(夏だったので、毎日洗面台で洗濯はしましたが・・・)。

もし、無人島に流されたり、災害に遭って家財が無くなっても、手仕事で培った工夫する精神、うたやお話で、自分自身でファンタジーの世界を作りだせる自信は、必ず、自らの身を助けることになるはずです。私自身、佐渡ヶ島育ちで、農家の曽祖父のお守りで育っており、見よう見まねで今思えば実際に作ったことがないものでも、身体のどこかが記憶していて、自然の材料さえそばにあれば、「自分で作ってみよう」とか「こうやったら、どうなるだろう」などの好奇心が湧き上がってきて、辛いことも忘れて作るのに没頭します。そして、祖母も両親もうたやお話(本、芝居、映画も含め)が大好きな家系なので、私自身自然とそれらのことが大好きな人間に育っていました。

玩具は素材そのものでいい
おもちゃの中の三種の神器といえば、ぎんのいずみの在園児にとっては歴然と<遊び布・遊びひも・木切れの積み木>です。好奇心を持って自分で作ってみるためには、最初から出来すぎているおもちゃは子どもに何の想像性も創造性も与えません。この遊び布や遊びひも、木切れの積み木を使って子どもは実に様々な遊び方を考案します。遊び紐は、ものとものを結んでつなぐことができるのが、子どもにとっては魔法です。椅子と椅子をつなげるだけで、電車。干し柿の季節には、お手玉を何個か遊び紐で結んでぶら下げたり、スティック状の棒きれに遊び紐を巻きつけて、何本もできたアイスキャンデーのカラフルさ。長いすを二つ重ねて、織り機を模して何本もの紐で織物まで展開されます。布は、女の子の着物やドレス、お部屋の屋根のみならず、水色なら川や風、緑なら野原などに瞬く間に変身するので、紐と布がいつも人気です。大きい子が先に長い紐をとってしまったので、小さい子が「ぼくのつかうのがない!」と泣くと、すかさず「みじかいのとみじかいのをつなげるとながくなるよ」と、助け舟を出す子がでてきます。そんな工夫や助け合いの場に居合わすことができるのは、保育者の喜びです。


<ぎんが文庫>に小人が来た日
いつだったか、8名の参加者があり、最後にパンとお茶を出す段になって、午前の「いずみの小人」クラスで残ったパンが2個しかありませんでした。それもビー玉大くらいの小ささ!私は一計を講じてそのパンを8個(一人分は本当に小さくなってしまいました!)に切り、お盆の中にフェルトの小人さんを立たせました。そしてパンを一人ひとりに配るとき、「今日のパンは、この小人さんが作ってくれたので、とってもとっても小さいの。小人さんが配ってくれます」と言って配りました。両手をお皿にした子どもたち(大人も)は、目を丸くして自分の手にパンがくるのを待ちました。そして「いただきます」をして食べました。一切れの、その小さい小さい小人サイズのパンを、この時ほど味わって食べたことがあったでしょうか?そこにいた、子どもも大人も本当に美味しそうに、これ以上大事なものはないというように、幸せそうな笑顔で食べていました。その時の温かい余韻は今も私の感覚の中に刻みついて残っています。

                       山本ひさの(ぎんのいずみ子ども園 代表) 





◆この文章は、さいたま市の春岡シュタイナー子ども園の会報に寄稿したものですが、了承を得て転載します。
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by nijiiro-no-tane | 2012-01-27 07:16 | スペース開放 ぎんが文庫 | Comments(0)